イケアは2006年に日本上陸。一号店は船橋


イケアは2006年4月、日本に再上陸した。千葉県船橋市の「ららぽーとスキードームSSAWS(ザウス)」跡地に出店した。後に、「IKEA Tokyo Bay(イケア東京ベイ店)」という名前になった。

創業者イングバル・カンプラード氏

イケアは1940年代に創業した。創業者はイングバル・カンプラード氏。スウェーデン南部スモーランド地方出身。若くして文房具や雑貨の販売を始めた。

カンプラード氏は1943年に17歳でイケアを設立した。一代で世界最大の家具チェーンを育成した。

「IKEA」の社名は、カンプラード氏(I・K)と、彼が育ったスウェーデン南部の村と農場のイニシャル(E・A)に由来する。

世界一の富豪ながら、質素

創業者のカンプラード氏は1986年に社長を退いた。だが、80歳になった後も最高顧問としてグループに目を光らせた。

2004年、米マイクロソフトのビル・ゲイツ会長を抜いて世界一の長者になった。当時カンプラード氏の個人資産は530億ドル(約5兆6180億円)に達した。ゲイツ氏の470億ドル(約4兆9820億円)を上回ったという。

2006年時点では、米フォーブス誌の長者番付では280億ドル(約3兆2000億円)と世界4位の資産家だった。

2018年1月27日、スウェーデン南部スモーランド地方の自宅にて91歳で死去。

しかし、飛行機はいつもエコノミークラスで、日本でも一般的なホテルに滞在していた。「家の庭で育てている野菜が大きくなることが楽しみ」と、質朴な雰囲気を漂わせていた。

北欧家具調デザインから低価格へ

イケアが取り扱う家具はすべてプライベートブランド(自主企画)商品だ。スウェーデンの地名や人名が付けられている。

イケアは、まず欧米を中心に拡大した。北欧家具調のデザインで人気を集めた。その後、低価格路線が好評を博した。

まずは価格設定を

カンプラード氏は社内で「常にまずプライスタグ(値札)をデザインせよ」と訴えたという。

モノ作りは価格をいくらに設定できるかからスタートしろとの趣旨だった。イケアのPB家具は、デザインや色使い、材質は時代とともに変遷した。変わらないのは「良質な家具を、多くの人が手の届く価格で」という創業以来のポリシーだった。

開発チーム

イケアの店舗が扱う商品は約10000品目だった。うち年間2000品目が新商品と入れ替わる。商品分野ごとに設けられたビジネス・エリアと呼ばれる開発チームが、各店から上がってくるニーズをまとめ、デザイナーへ新商品を発注する。

同社は世界のフリーの家具デザイナー85人と契約していた。だが、核となるのはスウェーデン開発本部で勤務する10人の自社デザイナーだった。

その役目は単にデザインを提供するのではなく、全工程に加わり、最高の商品開発を保証することだった。

参考動画

▼イケアの買い物



▼イケアで模様替え